TAMA音楽フォーラム

若手演奏家育成とクラシック音楽の振興を目指します

活動履歴2012

セミナーの内容

若手演奏家シリーズ第3回

TAMA音楽フォーラムのセミナーでの成果発表を兼ねた
若手演奏家によるコンサートです。
 
ゼッパールトリオ 村田千佳(Pf) 山田麻実(Vn) 山田幹子(Vc)
  〜 プログラム 〜
シューベルト ソナタ楽章 変ロ長調 作品28 D28
ハイドン ピアノ三重奏曲 第43番 ハ長調 作品XV-27
ゲイリー・クレシャ ピアノ三重奏曲第2番より
    〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜
シューベルト ピアノ三重奏曲 第1番 変ロ長調 作品99 D898
 
入場料: 1000円(一般、学生ともに)
 
 
 

「 ベートーヴェンの弦楽四重奏曲 作品18 」

セミナー形態: 公開レッスン & コンサート
講師:     岡山 潔 弦楽四重奏団
応募録音曲(受講曲):ベートーヴェンの弦楽四重奏曲 作品18 全6曲より1曲を選択し、その第1楽章
 
第9回セミナー 内容
公開レッスンは2グループが受講します。
 
= 公開レッスン曲目 =

  1. ベートーヴェン:弦楽四重奏曲 作品18-4

  Vn 二瓶真悠, 吉武由夏、Va 斎藤羽奈子 Vc 広田勇樹
 2. ベートーヴェン:弦楽四重奏曲 作品18-3
   Vn 久米浩介、佐藤奏、Va 高木真悠子、Vc 荒井結子
    (Amber Quartet、アンバー・カルテット)
 
= コンサート プログラム =
 
ベートーヴェン:弦楽四重奏曲 作品18-1
ベートーヴェン:弦楽四重奏曲 作品18-5 より Andante cantabile
 
 演奏:岡山 潔 弦楽四重奏団
 

「 ドビュッシーとラヴェルのヴァイオリンソナタ 」

  セミナー形態: 公開レッスン & コンサート
講師:     G. プーレ(Vn)   共演:川島 余里(Pf)
  応募録音曲(受講曲):ドビュッシー、またはラヴェル(3楽章形式)のヴァイオリンとピアノのためのソナタの第1楽章
 
第10回セミナー 内容
 
公開レッスンは2グループが受講します。
 
= 公開レッスン曲目 =
 

  1. ドビュッシー:ヴァイオリン・ソナタ

  Vn 西 悠紀子(桐朋学園大学3年) Pf 島 千晶(桐朋学園大学卒業)
 
2. ラヴェル:ヴァイオリン・ソナタ
   Vn 京極 朔子(桐朋学園大学3年) Pf 佐伯 麻友(桐朋学園大学研究科修了)
 
= コンサート プログラム =
 
ドビュッシー:ヴァイオリン・ソナタ
ラヴェル:ヴァイオリン・ソナタ
サン=サーンス:序奏とロンドカプリッチオーソ
 
演奏:ジェラール・プーレ(Vn) 川島 余里(Pf)
  
 

 「 コントラバス・セミナー          『モーツァルトとボッテジーニの間』〜オーケストラの世界、ソロの世界〜 」

セミナー形態: 公開レッスン & コンサート
講師:     河原 泰則(元ケルン放送交響楽団首席奏者)  
共演:馬淵 昌子(Va)他
 
  
 
   聴講:     先着60名限定
 
   応募録音曲:  ボッテジーニのコントラバス独奏曲(他の作曲家でもよい)をCDまたはMDに録音して「2012年 2月25日(土)必着」でお申し込みください。
★受講が決まった方は、以下の曲を公開レッスンにご用意ください;
  課題曲:    ⑴モーツァルト:「フィガロの結婚」より伯爵夫人のカヴァティーナ
                (* 楽譜は事前に受講者に送付致します。
                 * ソロ弦使用の場合でもオーケストラ・チューニングに下げて演奏可能。)
 
           ⑵ベートーヴェン:交響曲第5番 第2,3楽章
 
           ⑶独奏曲を1曲(ボッテジーニの作品)
 
 
 
 
 

 「 シューベルトの弦楽四重奏曲 」

 
   セミナー形態: 公開レッスン & コンサート
 
   講師と演奏:  ライプツィヒ弦楽四重奏団
 
   応募録音曲(受講曲):シューベルトの弦楽四重奏曲の第1楽章をCDまたはMDに録音して「5月12日(土)必着」でお申し込みください。
 
 
第14回セミナー 内容
 
 
= 第14回セミナー受講曲目及び受講カルテット =
①シューベルト 弦楽四重奏曲 イ短調 D 804 “ロザムンデ”
堀川萌子、内田咲千子(Vn)島内晶子(Va) 塩田香織(Vc)
 
②シューベルト 弦楽四重奏曲 ニ短調 D 810 “死と乙女”
Quartet Ariosa 山本有紗、崔 樹瑛(Vn) 島岡万里子(Va) 高木俊彰(Vc)
 
③シューベルト 弦楽四重奏曲 ニ短調 D 810 “死と乙女”
Amber Quartet 久米浩介、佐藤 奏(Vn) 高木真悠子(Va) 荒井結子(Vc)
 
= コンサート プログラム =
シューベルト 弦楽四重奏曲 変ホ長調 D 87
演奏: ライプツィヒ弦楽四重奏団
 
 
 
 

「 ヴァイオリンとヴィオラの二重奏曲 」

 
   セミナー形態: 公開レッスン & コンサート
 
   講師と演奏:  ジークフリード・フュールリンガー(Va)
           (ウィーン音楽演劇大学教授)
 
 
   応募録音曲(受講曲):モーツァルトのDuo K.423、K.424、協奏交響曲K.364の中から1曲を選択し、その第1楽章をCDまたはMDに録音して「6月2日(土)必着」でお申し込みください。(☆Duoとしての受講となります)
 
 
第15回セミナー 内容
 
= コンサート プログラム =
 
モーツァルト ヴァイオリンとヴィオラのための二重奏曲 変ロ長調 K424
ベートーヴェン 2つのヴァイオリンとヴィオラのためのトリオ ハ長調 op.87
 
演奏 ヴィオラ ジークフリード・フューリンガー
共演: ヴァイオリン 岡山 潔、服部芳子 
 
 
 
 
 

「 ストラヴィンスキーの室内楽曲 」

 
   セミナー形態: 公開レッスン & コンサート
 
   講師と演奏:  野平 一郎(Pf) 共演:漆原 朝子(Vn)
 
   応募録音曲(受講曲):ストラヴィンスキーの「Duo Concertante」または「イタリア組曲」の第1楽章をCDまたはMDに録音して「7月7日(土)必着」でお申し込みください。(☆ヴァイオリンとピアノのDuoとしての受講となります)
 
 
7月28日
公開レッスンの受講者及び受講曲
 
松本紘佳(Vn)、栗田奈々子(Pf)(Duo Concertante)
 
片田道子(Pf)、加藤直子(Vn)(イタリア組曲)
 
 
=コンサートプログラム=
 
ストラヴィンスキー 4つの練習曲集 作品7 (1908)より 
          イ調のセレナード (1925) より 
ヴァイオリンとピアノのための Divertimento
 
 
   ピアノ:野平一郎
   ヴァイオリン:漆原朝子
 
 
 
 
 

 「 モーツァルトのピアノとヴァイオリンのためのソナタ 〜その3〜 」

 
   セミナー形態: 公開レッスン & コンサート
 
   講師:     小林 道夫(Pf)  共演:岡山 潔(Vn)
 
   応募録音曲(受講曲):モーツァルトのピアノとヴァイオリンのためのソナタK.454、K481、K526、K547、の4曲より1曲を選択し、その第1楽章をCDまたはMDに録音して「8月4日(土)必着」でお申し込みください。(☆Duoとしての受講となります。)
 
 
第17回セミナー内容 8月26日
 
受講グループ及び受講曲
 
1.
横田智子(Vn)東京音楽大学大学院修了
竹沢友里(Pf)東京音楽大学大学院修了、東京音楽大学伴奏助手
モーツァルト ソナタ イ長調 K526
 
2. 西 悠紀子(Vn) 桐朋学園大学音楽学部4年在学中
  黒崎美由 (Pf) 桐朋学園大学音楽学部休学中
モーツァルト ソナタ ヘ長調 K547
 
3. 小林朋子(Vn) 桐朋学園大学、ベルリン芸術大学卒業、桐朋学園子供のための音楽教室講師
  今井彩子(Pf) 桐朋学園大学、ベルリン芸術大学卒業、桐朋学園大学、桐朋女子高校講師
  モーツァルト ソナタ 変ロ長調 K454
 
=コンサートプログラム=
 
モーツァルト ピアノとヴァイオリンのためのソナタ イ長調 K526
ピアノとヴァイオリンのためのソナタ ニ長調 K307
 
演奏:小林道夫(Pf) 岡山 潔(Vn)
 
 
 
 
 
 

「 Wolfgang Rihmのピアノ三重奏のためのFremde Szene, ⅠⅡⅢ 」

 
   セミナー形態: レクチャー & コンサート
 
   講師:     福中 冬子(東京藝術大学准教授、音楽学)  
 
   演奏:    別府由佳(Pf)、對馬哲男(Vn)、林はるか(Vc) 
   今年還暦を迎えた現代ドイツの作曲、W.リームの室内楽作品の最高傑作への誘い
 
 
 
 

 「 リストのピアノ音楽の魅力 」

 
   セミナー形態: レクチャー & コンサート
 
   講師:    コーラ・イルゼン
 
 
   聴講:     先着70名限定
 
   ワイマールのリストハウスでのリスト全曲演奏会シリーズで絶賛されているピアニスト
 
 
 
 

「 シマノフスキーの室内楽作品 」

 
   セミナー形態: レクチャー & コンサート
 
   講師:    Apollon Musagete Qartett(アポロン・ムサジェ弦楽四重奏団)
 
 
プログラム: ハイドン、ヤナーチェック、シマノフスキー
 
   聴講:     先着70名限定
 
   ミュンヘンコンクール優勝のポーランド、新進気鋭のカルテットによるレクチャーコンサート
プログラム
 
Josepf Haydn :弦楽四重奏曲 ハ長調 作品76-3 Hob.Ⅲ77 「皇帝」
Karol Szymanowski : 弦楽四重奏曲 ハ長調 第1番 作品37
Leos Janacek : 弦楽四重奏曲 第1番 「クロイツェル・ソナタ」
 
 
 
 

「 ベートーヴェンのピアノトリオ 〜その1〜 」

 
セミナー形態: 公開レッスン & コンサート
 
講師:    植田 克己(Pf) 共演:山本 正治(Cl.)、河野 文昭(Vc.)
受講曲: ベートーヴェンのピアノトリオ op.1-1,op.1-2,op.1-3,op.11の中から1曲
        (op.11はクラリネット、チェロ、ピアノの編成)
応募締切: 11月24日(土)
 
 
   セミナー受講生と曲目 
 
   ① 作品1-3  
      ピアノ:早坂なつき、 ヴァイオリン:亀山晴代、  チェロ:Park Hyun-Ah
 
   ②作品11 
      ピアノ:稲生亜希子、 クラリネット:芳賀史徳、  チェロ:佐藤 翔 
 
 
 
 
 
 
 

セミナーレポート

「ベートーヴェン弦楽四重奏曲 作品18」

公開レッスン&コンサート
講師:岡山潔弦楽四重奏団(岡山潔、服部芳子、佐々木亮、河野文昭)
2012年1月15日(日)  スタジオ・コンチェルティーノ
 
満を持して、というべきだろう。今回は、スタジオ・コンチェルティーノをいわばホームグラウンドとする岡山潔弦楽四重奏団のセミナー初登場である。これまで年に二回、東京・千駄ヶ谷の津田ホールで続けてきたベートーヴェンの弦楽四重奏曲初期シリーズ(作品18)演奏会が、昨年11月の演奏会で終了し一区切りしたことを受け、6曲からなるその作品18を課題としてセミナーとコンサートが行われた。
受講グループは二組。最初の二瓶真悠(Vn)、吉武由夏(Vn)、斎藤羽奈子(Va)、広田勇樹(Vc)はいずれも東京藝大2年在学中の「同級生クァルテット」で、受講曲はハ短調作品18の4だった。昨年4月に結成し、これまでにモーツァルトの「狩り」四重奏曲などを練習してきたという4人が、第一楽章アレグロ・マ・ノン・タントを通して演奏した。
まずは出だしのチェロのきざみについて。岡山さんが「ここは厳しさというか、凄味がほしい」と口火を切り、河野さんの「もっと異様に。眼が座っていないと」の指摘が続く。楽章全体については、「時々早口すぎて、何を言いたいのか分からないことがある」(岡山)、「アレグロ・マ・ノン・タント(快活に、しかし過度にならずに)がコン・ブリオ(活気をもって)のように聞こえる。それと、ベートーヴェンにとって、ハ短調という調性が何を意味していたかを考えてほしい」(河野)といったアドヴァイスが出された。
「スフォルザンドの弓使いが穏やかすぎる。だからその後ディミヌエンドした時の和音が聴こえてこない」という服部さんの言葉を受けて、佐々木さんが「表情と雰囲気の変化というか、移り変わりにもっと気をつけてほしい」と口を開く。4人の講師がそれぞれの角度から述べる言葉は、受講者たちにとってまことに有益なのだろう。指摘を受けて繰り返し演奏されるうちに、どんどん曲調が深まっていくのがよく分かる。
それにしても、ベートーヴェンという大作曲家が弦楽四重奏曲という分野に注いだ心血と情熱、エネルギーの大きさはどうだろう。はっきり初期、中期、晩年と分けられる弦楽四重奏曲作曲の時期は、そのままベートーヴェンその人の生の歩みを跡づけている。そして初期の6曲は、けっして「若書き」などと片づけられるものではなく、若きベートーヴェンの心情と時代精神を反映して、見事な完成度を見せている。そのことを『ハイドン、モーツァルトそしてベートーヴェンへ』と題して岡山潔弦楽四重奏団が続けてきたシリーズ演奏会は如実に示してくれた。この日も、岡山さんは「シュトゥルム・ウント・ドラング(疾風弩涛、あるいは嵐と襲撃)」という概念を持ち出して、いかにベートーヴェンがハイドン、モーツァルトら先人の達成したものを継承し、この曲に「人間の内面のエネルギーの沸き立ち」(というのが疾風弩涛のモットーである)を注ぎ込んだかを強調した。
講師4人のアドヴァイスはさらに続く。「クレッシェンドをかけるのが早すぎる。もっと内側に(力を)溜めて、音符通りに」「ヴィブラートは必要だが、ヴィブラートだけが聴こえてくるようではいけない。練習の仕方として、まずヴィブラートなしで弾くようにしたらどうだろう」。続いて演奏された第二楽章の奏始部でも、「ここはスケルツォなのだから、ちょっとかわいく、気楽な感じで」と言いながら、岡山さんはヴァイオリンを手にして「ホラ、こんなふうに」と、歩きながら弾いてみせたりもする。
 
二組目は、昨年秋に結成されたばかりという久米浩介(Vn)(愛知県立芸大卒)、佐藤奏(Vn)(桐朋学園大卒)、高木真悠子(Va)(桐朋学園大卒)、荒井結子(Vc)(ハンブルク音大卒)で、既に「アンバー(琥珀)・クァルテット」の名称を持っている。こちらはニ長調作品18の3を演奏した。
 
「第一楽章出だしの七度の跳躍がスラーで結ばれていることの意味は何だろう」「フォルティッシモは省エネせずに、余力を残さず、力を使いきって」「休符でも、音楽を感じていてほしい」「ベートーヴェンが三連音符に込めたものを考えて」と、ここでも4人の講師から矢継ぎ早の指摘が出された。
 
それにしても、つくづく思い知らされたのは、弦楽四重奏の難しさと楽しさである。ただ4人の息が合っているだけでは、まだ不十分なのだ。演奏しようとする曲を研究し、4人でディスカッションを重ね、何度も何度も練習を(それも個人練習と四重奏の練習を)続けなければならない。そうしているうちに、合奏の楽しみと喜びも湧いてくる。「クァルテットは、やればやるほど良くなる」「色々なことを感じながら演奏しているのが分かります。味わい、と言えばいいのかなあ」という岡山さんの講評は、実感のこもった好意的なものだった。
 
セミナー終了後、休憩をはさんで開かれたコンサートでは、岡山潔弦楽四重奏団がヘ長調作品18の1全曲とイ長調作品18の5の第三楽章アンダンテ・カンタービレを演奏した。「いやあ、言いたいことを言った後での演奏はやりにくい」と言いながら、津田ホールとはまた異なる親密な空間で、4人の息遣いまでが伝わってくる見事な演奏が繰り広げられ、聴衆はしばし弦楽四重奏の醍醐味を味わうことになった。
 
なお、この後岡山潔弦楽四重奏団は、7月17日(火)の第一回を皮切りに、ベートーヴェン中期作品シリーズ(全5回)を津田ホールで開催することになっており、『ベートーヴェンの中期弦楽四重奏曲からロマン派へ』のタイトルが示すように、第一回のプログラムはベートーヴェンの弦楽四重奏曲ヘ長調作品59の1とシューベルトの弦楽四重奏曲イ短調D804。7月を楽しみに待ちたい。
 
(舟入素一 ジャーナリスト TAMA音楽フォーラム実行委員)

 「ドビュッシーとラヴェルのヴァイオリンソナタ」

 講師;ジェラール・プーレ
 2012年2月5日(日)於;スタジオ・コンチェルティーノ
 
 今日はフランスの名ヴァイオリニスト、ジェラール・プーレのセミナーとコンサートである。指揮者、ヴァイオリニストとして活躍したガストン・プーレを父に持ち、11歳でパリ国立音楽院に入学し、2年後に首席で卒業、18歳でイタリアでのパガニーニ・コンクールに優勝、フランチェスカティ、シェリング、メニューインなどの巨匠の薫陶を受けながらヴァイオリニストの道を歩む。その傍ら、パリ国立高等音楽院などで長年、教育に携わる。そして退官後の2005年から4年間、東京芸術大学の客員・招聘教授を務め、10年4月から昭和音楽大学の客員教授。日本とフランス半々の生活という。
 
 セミナー開始に当たり、短い挨拶があった。「来日して7年がたちます。日本に来られたのは岡山潔先生のおかげです。日本での個人的な幸せと音楽的な喜びを二重に味わっています。今日はこの素晴らしいスタジオでセミナーと演奏ができてうれしいです」。
 
 まず、ドビュッシーのソナタの受講生は、桐朋学園大学3年の西悠紀子さん(V)と同大学卒業生の島千晶さん(P)。第1楽章を通して弾く。プーレ氏「2人ともいいエスプリで弾いたが、もう少し柔軟さがほしい。バランスもよくない。ピアノが強すぎる。色々なところのテンポも問題だ」とやさしい口ぶりながら、厳しい指摘である。また、冒頭のピアノの和音はヴァイオリンの主題を導くための和音であるという大事な言葉もあった。展開部について、1900年のパリ万博でドビュッシーはインドののこぎりのような楽器に接して、それに影響されたというエピソードも紹介した。楽章の終わりがちょっと硬い、もっと柔らかくという指摘があった。
 
 第2楽章では、テンポが速すぎるという注意のほか、中間のスピッカートは弓の真ん中でやったほうがよい、終わりのところは速すぎないように、メノ・モッソでと指摘した。
 
 第3楽章でも、ピアノの音が大きすぎる、“生き生きと”ではあるが、攻撃的になるのはよくない、コーダはテンポを上げて、などの注意もあった。プーレ氏の指導は、言葉よりもヴァイオリンを片手に持って演奏しながらの大きな身振りの熱血指導で、これに十分に基礎のある優秀な二人の受講生が応じているうちに、音楽がどんどんフランス的というか、ドビュッシーの世界に接近していったのは驚きであった。
 
 次のラヴェルに入る前に、プーレ氏は、父ガストンがドビュッシーと出会い、ソナタの初演をしたいきさつを興味深く物語った。
 
 「私の父ガストン・プーレはヴァイオリニストで1910年にプーレ四重奏団を結成し25年ごろまで活動しました。ドビュッシー、ラヴェルなど近代フランス音楽を得意としましたが、ドビュッシーと面識がなく、「私たちの演奏を聴いてほしい」と手紙を書きました。ドビュッシーがなくなる2年前の1916年のことでした。間もなく、『よければ家にいらっしゃい』ということで、4人で出かけました。高級住宅街のドビュッシー邸の広い部屋に通されました。恥ずかしがりのドビュッシーは部屋の隅っこに座り、4人は第1楽章を演奏しました。何の反応もないので仕方なく第2、第3、そして終楽章まで弾きました。それでも彼は何も言わない。父が恐る恐る『どうでした』とたずねると、『よくありません。しかし、よく弾けているから直さなくてもいいでしょうが、すこしアドヴァイスがあります』と言って実にたくさんのことを教えてくれて別れました。
 
 「数週間後、ドビュッシーから新聞の活字のように細かい字の手紙が来ました。『親愛なるガストン、いま6曲のソナタを構想していて、今、ヴァイオリンソナタを書いているので、見てください』。父は彼の家に行って、技術上のことも含めて相談に乗った。3か月後、手紙が来ました。『ソナタが完成しました。ご協力に感謝します。パリで一緒に演奏しましょう』。しかし彼はすでに大腸がんを患っていて、初演は手術後に小康を得た1917年5月5日に持ち越されました。二人はその年の9月に、ラヴェルの生地シャンザン・ド・リュスで演奏したが、この2回だけで、ドビュッシーは1918年3月に永眠しました(その時ガストン・プーレ25歳、ドビュッシー55歳)」。
 
 セミナー後半のラヴェルの受講生は桐朋学園大学3年の京極朔子さん(V)と同大学研究科修了の佐伯麻友さん(P)で、プーレ氏から同じような熱心な指導を受けた。第1楽章の二度目の演奏で、後半部をプーレ氏が一緒に弾いているうちに、音楽がどんどんラヴェルらしく変わってくる。この楽章について、古典的な形だが、無調に近づけようとする意図があり、遊びの要素もある。ピアノがカリヨンを模しているところもある。このような分析をしたうえで演奏するとよい、というアドヴァイスがあった。第2楽章はラヴェルがアメリカでジャズや黒人音楽に触れたこと、出だしはバンジョーを模していることを指摘した。そのうえで、テンポが遅くならず、インテンポで演奏すること、中間部のピッチカートはもっと強くてよい、ピアノの和音は乾きすぎないようになどの注意があった。プーレ氏は指導に熱中のあまり、時間を忘れたようで、第3楽章は時間切れ、休憩の後、コンサートに移った。
 
 コンサート・プログラムはもちろんドビュッシーとラヴェルのソナタ。その間に、サンサーンスの「序奏とロンドカプリチオーソ」が入り、スタジオ・コンチェルティーノはフランス音楽のエスプリに満ち溢れた。プーレ氏と共演したピアニストは川島余里さんで、東京芸術大学作曲家卒、同大学院修了後の1989年渡仏、主に伴奏者として評価を高め、2005年に帰国、東京芸術大学などで講師を務めながら、作曲活動をしている。この日も、プーレ氏の最も信頼する音楽家として、セミナーの通訳、助手を務め、コンサートでは、プーレ氏と見事な共演ぶりを示した。
 
コンサートを通して、これらフランスの名曲の真髄を日本の、特に若い人々に伝えるプーレ氏の存在の大きさを感じた。なかでも父の直伝であり、「この曲のすべてが私の心にある」というドビュッシーのソナタの演奏は、音楽学生のみならず、愛好家にとってのモデルとなるだろう。
 
聴衆の熱心な拍手に応えて、アンコールとして、ファリャの「スペイン舞曲」とラフマニノフの「パガニーニの主題によるラプソディー」からの旋律の2曲が演奏された。
 
(記録者:西谷晋)

 「モーツァルトとボッテジーニの間」~オーケストラの世界、ソロの世界~

講師:河原 泰則
2012年3月31日(土) 於:スタジオ・コンチェルティーノ
 
 
☆コントラバスの幅広い表現力――内面の苦悩や傷つきやすさも
 
 2011年度の最後の日は東京で桜が開花したというニュースがあったのだが、実は横なぐりの雨が降る悪天候。にもかかわらず、客席は超満員の盛況だった。この日のTAMA音楽フォーラムのセミナーにはコントラバスが初めて登場、「モーツァルトとボッテジーニの間」~オーケストラの世界、ソロの世界~という副題がついた。講師は世界有数のコントラバス奏者で、1980年から昨年まで30年以上にわたってケルン西部ドイツ放送交響楽団(旧ケルン放送交響楽団)の首席をつとめるかたわら、ソリストとして活躍している河原泰則氏。旧知の岡山潔TAMA音楽フォーラム代表は「河原さんは楽器を超越して音楽を突き詰めている方」と紹介した。
 
 公開レッスンの課題曲はボッテジーニ作曲コントラバス協奏曲第2番と同エレジー、そしてモーツァルトのオペラ「フィガロの結婚」第2幕冒頭の「伯爵夫人のカヴァティーナ」。片岡夢児(東京藝術大学4年)、名和俊(京都市立芸術大学1年)の両君が小林万里子・洗足学園音楽大学講師のピアノ伴奏で河原先生の指導を受けた。
 
 「(この協奏曲は)ラテン系で地中海の光を思わせ、(イタリア語のように)母音が多くある。もっと歯切れよく」「歌うところはとことん歌う」「男性的なところは真っすぐに。テンポをのばしていいところはのばす。その直前はのばさないように」と片岡君に注文をつけ、自ら歌い、同君にも歌わせる。そして「コントラバスは内面の苦悩や激しさ、傷つきやすさも表現できるチェロにないすごさがあり、(一般に考えられているよりも)かなり幅広い楽器です」と解説した。
 
 エレジーのレッスンでは名和君に「音楽を部分、部分だけで見ている。全体を見て設計図を描かないと。大きな『文章』のなかに小さなフレーズを組み込んでいかないといけない。ひとつのフレーズはその先のフレーズのためにあり、その先のところはそのまた先のフレーズのためにある」と、曲の全体像をつかむことの重要性を説いた。
 
 フィガロの結婚のストーリーはいわばドタバタ劇で、面白おかしく楽しいが、モーツァルトがまことに素晴らしい音楽に仕立て上げた傑作だ。課題に取り上げたのは序奏の後、アルマヴィーヴァ伯爵夫人(ソプラノ)が夫の心変わりを嘆き、「私の大事な人を取り戻してくださるか、さもなければ私に死を賜りますように」と神に祈る場面。河原先生は「明るい音楽ではない。神と対話しているのだから、神の世界の大きさ、自然な大きさを表現できないか。神様の世界だから、厳かで重々しい。軽くたたかない方がいい」「コントラバスには休符があるが、旋律は流れている。大事なのは雰囲気をつかむことね・・・」。歌手が役柄になりきるのは当然としても、それを支えるオーケストラも楽員ひとりひとりが空気を読んで一体となって演奏しなくてはならないということなのだろう。
 
☆モーツァルトとベートーヴェンが可能性を広げる
 
 オーケストラのなかで低弦は響き全体の土台をつくる重要な役割を担っている。チェロよりも1オクターブ低い音が出せるコントラバスは低音部を補強する地味な存在だった時代が長かった。低い周波数(波長が長い)の太い音なので、ほかの弦楽器に比べ、素早い変化に対応するのが難しいという物理(学)的な事情があるからだろう。
 
ドイツ・レクラム社のMusikinstrumentenfuehrer(楽器便覧、2003年刊)のコントラバスの項目を見ると、モーツアルトとベートーヴェンはコントラバス奏者に格段の力量を求め、この楽器の可能性を広げたという趣旨のことが書いてある。同書によると、モーツアルトは歌劇「魔笛」との関連が連想される交響曲第39番の第1楽章で急な音階の跳躍を、第4楽章では主題への参加をコントラバスに課した。また、「(作曲家による)コントラバスの正当な評価はベートーヴェンの交響曲第3番「英雄」の第2楽章、いわゆる葬送行進曲に見られる」「交響曲第5番の第3楽章でのコントラバスの急激な音階の変化はあまりにも有名だし、第6番「田園」の第4楽章でのコントラバスによる雷鳴の表現には歴史的な意味がある」などと指摘する。
 
 おなじみの交響曲第9番「合唱」の第4楽章前半ではチェロとコントラバスが大活躍する。導入部で第1、第2、第3楽章の回想を低弦がひとつひとつ退け、木管による歓喜の旋律に肯く。そして自ら歓喜の主題の先導役になる。
 
 このレポートを書くにあたって、河原先生のものを含め、幾つかのCD、DVDを聴いた。クリスティアン・ティーレマン指揮ウィーン・フィルのベートーヴェン交響曲全集(映像版)にボーナスとして付いている指揮者本人と評論家ヨアヒム・カイザー氏との対談・解説のなかで、カイザー氏は第5番第3楽章のトリオ部分について、「コントラバス奏者、チェロ奏者の腕の見せどころ」と語っている。
 
トルコ行進曲で知られるベートーヴェンの劇(付随)音楽「アテネの廃墟」(1813年初演)の序曲はチェロとコントラバスで始まる。ヨーゼフ・カイルベルト指揮バンベルク交響楽団はfp(フォルテ・ピアノ)の指示通り力感と重苦しさが混ざり合った響きで、オスマン帝国に滅ぼされた人々の怨念やトルコの圧政に苦しむ人々の苦難をほとんど一瞬のうちに表現しているように感じた。チェロだけだったら、こうはならなかったに違いない。
 
シューベルトの交響曲第8番「未完成」もチェロとコントランバスのユニゾンで始まるが、ギュンター・ヴァント指揮・北ドイツ放送交響楽団はpp(ピアニのシモ)のところをかなり強めに弾き、天地創造の混沌とも言えるような深みのある響きをつくり出している。このDVDは指揮者から見て右奥に2列に並ぶコントラバス奏者のうち、前列の4人を横合いから大写しにし、チェロの2人を画面の右隅に入れて、ここでは誰が主役かを見事にとらえている。
 
☆2人の巨匠:ドラゴネッティとボッテジーニ
 
 コントラバスが現在の形状になったのは18世紀の半ば頃とされ、いわば若い楽器と言えそうだ。もともとは室内楽用の弦楽器ヴィオラ・ダ・ガンバ属(大きな音が出ない)のなかで最低音を受け持つヴィオローネが祖先とされ、これがヴァイオリン、ヴィオラ、チェロのヴァイオリン属と徐々に融合したのだという。胴体の上部がなで肩、裏側が平らなものもある、といったところにヴィオローネのなごりがある。
 
 このヴィオローネからチェロに似たコントラバスをつくったのはイタリアの弦楽器製作者でコントラバスの奏者でもあったガスパロ・ダ・サロ(1540頃~1609年)とされ、ガンバ属の6弦とヴァイオリン属の4弦の間をとって5弦にしたとか。3弦の楽器もあって、「コントラバスのパガニーニ」と呼ばれた巨匠ドメニコ・カルロ・マリア・ドラゴネッティ(1763~1846年)は、これを好んで使った。現代のコントラバスは河原先生が5弦、受講生のお二人が4弦というように、4弦とより低い音が出る5弦の2通りがあり、弓の形状や弓の持ち方にも違いがある。右手の掌を上に向けて親指と人差し指の間に弓の棒の部分をはさむ先生や受講生のような「ドイツ式」と、チェロと同じように持つ「フランス式」とがあって、ドイツ式はヴィオローネの奏法の流れを汲むものという。
 
 ドラゴネッティが3弦の楽器を掌を上に向けて弾いている水彩画(ジョージ・リッチモンド、1825年頃)が残っている。ドラゴネッティはヴェネツィア生まれで、長らくロンドンで活躍したが、ハイドン、ベートーヴェン、ロッシーニらと親交があり、ベートーヴェンに影響を与えたことも考えられる。
 
 その後継者である同じイタリア人のジョヴァンニ・ボッテジーニ(1821~1889年)は傑出した演奏家であっただけでなく、協奏曲やソナタなどコントラバス用の作品をはじめ、オペラ、管弦楽曲などを数多く残した作曲家でもあり、親交のあったヴェルディのオペラ「アイーダ」の初演(1871年、カイロ)を指揮したことでも知られている。また、フランス式を考案したのはボッテジーニという説(電子百科事典ウィキペディア日本版)もあり、愛用した3弦の楽器を今で言うフランス式で弾こうと構える写真がウィキペディア・ドイツ版に載っている。
 
 前出の楽器便覧は、ドイツ式が弦にかかる弓の強い圧力により音の強さが持続的かつ確実に出せるのに対し、フランス式はニュアンスの表現により適しているなどと説明している。DVDで見る限り、ドイツやオーストリアのオーケストラの奏者はドイツ式で、イギリス、フランス、オランダ(コンセルトヘボウ)ではフランス式、アメリカでは双方が混在といった具合で、それぞれの歴史的背景を反映している。ウィーン・フィルではニューイヤー・コンサートに見られるように、コントラバスが後部上段に横一列にずらりと並び、視覚的にも圧倒的な存在感がある。 
 
 ☆コンサートは「魔笛」で盛り上がる
 
 公開レッスンの後のコンサートではモーツァルトの「魔笛」から河原先生が編曲した序曲、パパゲーノのアリア、タミーノのアリア、夜の女王のアリア、ザラストロのアリアなどがヴァイオリン(岡山代表)、ヴィオラ(馬淵昌子氏)、コントラバス(河原先生)の3重奏で演奏され、大いに盛り上がった。アンコールはパパゲーノの「おいらは鳥刺し」。
 
 コントラバス用に書かれた曲はそれほど多くないので、奏者自身がほかの楽曲を編曲して演奏会に臨む例が少なくない。河原先生はバッハの管弦楽組曲第3番のアリアをコントラバス、ヴァイオリン、ピアノの3重奏用に編曲してリサイタルで演奏するなど、レパートリーを広げている。大きくて重そうなコントラバスの演奏をすぐ目の前で聴くのは初めての経験とあって、縁遠いと思っていた楽器が文字通り身近な存在に感じられて、うれしかった。
 
(記録者 走尾正敬)

   「ゴイェスカス、ゴヤが霊感を与えた音楽」

レクチャー&コンサート
   2012年5月19日午後3時開演。スタジオ・コンチェルティーノ
      お話と演奏: 松村未英(Pf)
 
 この日は、一味違ったレクチャーコンサートが開かれ、スタジオ・コンチェルティーノは満席のにぎわい。例によって、岡山代表が軽やかに松村さんを紹介、すぐ近くに住む長年の知り合いで、一緒に音楽を演奏したこと、スペイン在住で、ご主人がフラメンコの演出家であることなどをかたった。松村未英(まつむらみえ)さんは、京都の堀川高校音楽家を卒業した後、米インディアナ大学、さらにニューヨーク・ロチェスター大学イーストマン音楽大学で、学士・修士を取ったピアニスト。2004年以来スペインで、おもにファリャ、アルベニス、グラナドスなどのスペイン国民楽派の作品を研究、また、07年、セビリアでフラメンコをスペインのクラシック音楽に結びつけた自作「セレナータ・アンダルーサ」を初演し、高い評価を得た。
 
 きょう松村さんは、近代スペインのピアノ音楽の最高峰といえるエンリケ・グラナドス(1867~1916)の組曲「ゴイェスカス」全曲を休みなく演奏した。題名通り、この曲はすべてスペインの大画家ゴヤの絵や壁掛けから霊感をえている。第1部は「愛の言葉」「窓辺の語らい」「炎のファンタンゴ」「嘆き、またはマハと夜啼き鳥」。第2部は「愛と死:バラード」「エピローグ:幽霊のセレナータ」。また、通常は最後に付録のようにおかれる「藁人形」を、序曲のように初めに置いたのは松村さんの独創であろう。「藁人形」はグラナドスが「ゴイェスカス」をオペラに仕立て直した時の冒頭の音楽をピアノ曲にしたもので、これもゴヤの壁掛けに想を得ている。
 
 松村さんの情熱を込めた演奏は1時間近くに及び、会場は、ゴヤ、グラナドスの幻想、愛、嘆き、踊りのスペイン情緒でいっぱいとなり、そして「幽霊はギターの弦をひっかきながら消えた」。
 
 休憩の後、岡山代表の親しみ深い問いかけと促しに応じて、松村さんはグラナドスなどスペイン音楽との出会いのいきさつを次のように語った。わたしが学生のころ、ドイツ音楽、次いでフランス音楽というように、スペイン音楽は無視され、情報が少なく、私は何だかもやもやしていた。米国からフランスへ講習を受けに行ってある映画監督と出会った。日本にいたとき、彼から、「フラメンコ祭が東京にきているよ」とメールをもらい、見に行った。そこで出会ったフラメンコ音楽はスペインへ行ってからさらに親しんだ。この中で、フラメンコを取り入れたファリャ、トゥリーナ、アルベニス、グラナドスに出会った。フラメンコを知ったおかげで、彼らの作品をよく理解できるようになった。
「ゴイェスカス」も次第にこの曲の魅力に取りつかれた。何よりも、ライトモチーフによる物語がある。練習するほど物語がはっきりしてきた。「バラード」でマホが死ぬところなどとてもビジュアルで、「窓辺の語らい」で、男の子のテーマがあり、彼が待っていてついに彼女が窓辺に出てくる情景が目に浮かぶようになった。最後の幽霊の曲でも、人間と幽霊はであっているのに触れ合わない、教会の鐘が鳴って幽霊は去る・・・・。「藁人形」がこのような音楽の後に来るよりは、最初に持って行った方がいいと私は考えた。
 
 岡山代表の問いで、話はスペインの風土や歴史、食べ物にもおよび、聴講者を楽しませた。スペインは何よりも明るくて、光が強い。わたしにもサングラスがいる。光と影、ファリャの音楽にもこの光の強さが出ている。スペイン人はさびしがり屋でもある。スペインには公用語が4つある。カタロニアやバスクは独立したがっているし、西のガリシア地方はガリシア語を話している。スペインといえば、ハモン(生ハム)、とりわけ、黒豚のハモンは素晴らしい。パエリアはヴァレンシア地方の名物料理だが、それはそこで米がとれるからでもある。スペインは世界で一番世界遺産が多く、魅力たっぷりの地だ。
 
 このように語った後、岡山代表の「何かスペインの曲を」という促しに応えて、ファリャの小品「キューバ風」を演奏した、さらに、大きな拍手にこたえて、マヨルカ島ゆかりのショパンの夜想曲が最後に演奏された。(西谷晋記)。
 
 
 

 「シューベルトの弦楽四重奏曲」

       講師:ライプツィヒ弦楽四重奏団
   2012年6月3日(日)15時~18時 スタジオ・コンチェルティーノ
 
         【公開レッスン】
       受講曲目と受講カルテット

シューベルト弦楽四重奏曲イ短調D804“ロザムンデ”
Vn堀川萌子(桐朋学園大4年)、Vn内田咲千子(桐朋学園大4年)
Va島内晶子(桐朋学園大3年)、Vc塩田香織(桐朋学園大4年)

シューベルト弦楽四重奏曲ニ短調D810“死と乙女”
QuartetAriosa Vn山本有紗(東京芸大大学院修了)、Vn崔樹瑛(東京芸大卒業)
       Va島岡万里子(東京芸大大学院修了)、Vc高木俊彰(東京芸大卒業)

シューベルト弦楽四重奏曲ニ短調D810“死と乙女”
AmberQuartetVn久米浩介(愛知県立芸大卒業)、Vn佐藤奏(桐朋学園大卒業)
       Va高木真悠子(桐朋学園大卒業)Vc荒井結子(ハンブルク音大)
 
      【コンサートプログラム】
  シューベルト弦楽四重奏曲イ短調D804“ロザムンデ”
Allegro ma non troppo, Andante, Minuetto, Allegro moderato.
 
演奏:ライプツィヒ弦楽四重奏団
      Vn シュテファン・アルツベルガー
      Vn ティルマン・ビュニング
      Va イヴォ・バウアー
      Vc マティアス・モースドルフ
 
 近年日本でも、急速に人気と評価を高めてきたライプツィヒ四重奏団(以下略してLSQ)が指導して、演奏するというので、四重奏団9団体が応募し、そのうちの3団体が受講することとなり、聴講席も満員、会場は熱気にあふれた。そして、最近亡くなったヴァイオリンと指揮の大家でLSQが教えを受けたゲルハルト・ボッセ氏のご婦人ミチコさんが通訳として大阪から来られ、その巧みな通訳で、素晴らしいレッスンが展開された。
 
まず第一組がイ短調第一楽章全部を弾いた。これについて、LSQの4人は、こもごもに「この曲はいいテンポを見つけるのが難しい」「足りないのは音楽の流れとつながりだ。勢いのないところがある」「大きなまとまりと息遣いがほしい」などと指摘し、「この曲の言いたいことは何ですか。何を表現しようとしているのですか」と受講生に尋ねた。LSQは、シューベルトが難しいのは感情表現なのだ。悲しみの中に喜びが隠されている微妙さがある。これがベートーヴェンと違うところだ。演奏する4人の気持ちが全部出てしまう。また、冒頭の第2ヴァイオリンのむずかしさに触れつつ、第1ヴァイオリンの旋律を壊さないように伴奏する必要があると内声部への注文もあった。21小節までがひとまとまりだから、第1ヴァイオリンは伴奏にとらわれずに、もっとレガートで、第2ヴァイオリンはテヌート気味で。この当時のシューベルトは、「さすらい人」や、「冬の旅の」準備期だから、どこへ向かうのかわからないという趣が音楽にある。音のむらをなくし、ビブラートを減らして、滑らかに流れて前に向かうように。4人は同じ流れの中で、そこから外れないようにたゆたうように。自然に、考えすぎないで。さらに、アクセントについて、「ベートーヴェンと違って、シューベルトには、柔らかいアクセントもある。そこに十分注意すべきだ」という重要な指摘もあり、指導は綿密を極めた。その中で、第1組の演奏する音楽が次第に流れるようになった。
 
 二組目は「死と乙女」の第1楽章の提示部までを演奏した。これに対してLSQは「いいテンポのいい演奏だ」とほめながらも、このホールの大きさにもかかわらず、ダイナミックの差をもっと出したい、表現の幅がほしい。楽章全体を見渡しながらだが、小さな美しいところはもっと丁寧に演奏したほうがいい、などと指摘した。また、次につながるように、流れを重視して、エネルギーを保つように。冒頭の2回の問いかけは、2回目を強く。持続音の後の3連音は丁寧に、しかしべたっとしないで緊張感を持って。ここで第1ヴァイオリンだけが突出するのはまずい。また、先へ先へとつながる演奏を心がけること、ここでも「ロザムンデ」と同じくシューベルトの柔らかいアクセントへの指導があった。この曲の気分として、もっと時間がほしいのにそれがないという切迫感が表現できるとよいとの助言もあった。
 
 休憩をはさんで、第三組が登場して、「死と乙女」の第1楽章の展開部から終わりまでのレッスンが始まった。これについてLSQは「流れの中で緊張感が表現されるべきなのだが、いろいろなテンポが聞こえてきた。やりたいことはわかるが、それをテンポで解決しようとするのはまちがいだ。16分音符が擦れた感じなので、もっとすっきりと弾くように。前へ前へと行こうとするのはいいが、ヒステリックになってはいけない。第1ヴァイオリンのビブラートがかけっぱなしのところがある。4人とも走りすぎずにテンポをしっかり整えること、などの注意があった。
 さらに、弓使いについては、いろいろな場面で、弓の中ほどを使うようにといった助言があり「シューベルトの弓使いはとても難しいので、それを覚悟して、よく練習してほしい」というのが印象に残った。
 
 レッスンに力が入ったため、予定よりかなり遅れて、コンサートが始まった。LSQの4人は疲れたはずなのに、「ロザムンデ」四重奏曲全曲を実に見事に熱演した。個人的感想だが、第1楽章の展開部が実に綿密に立体的に彫琢されたこと、第2楽章がとても柔らかくレガートで演奏されたこと、第3楽章冒頭のチェロが力強かったこと、第4楽章のゆったりしたテンポが快かったことが印象的だった。まことにシューベルトの四重奏曲の奥の深さを教えられたLSQによるレッスンとコンサートであった。
(西谷晋 記)
 
 

  「モーツァルトのヴァイオリンとヴィオラの二重奏」

     講師:ジークフリート・フュールリンガー
   2012年6月23日(土)15時~18時 スタジオ・コンチェルティーノ
 
 今日はウイーンからヴィオラの大家を招いての公開レッスンとコンサートの日である。
一年前にブルックナーの弦楽五重奏のレッスンで来られる予定だったが、大震災とご体調の問題で延期となり、やっと今日実現したという岡山潔・TAMA音楽フォーラム代表のあいさつで始まった。岡山代表がウイーン音楽大学に招かれたときに出会い、音楽家として尊敬し、共感を覚えたという。その前から、何度も来日し、日本の禅文化への造詣を深めている点でも貴重な方だと紹介された。フュールリンガー先生は「この音響の素晴らしい素敵な空間に来られてうれしい。さっそくはじめよう」と応じた。
 公開セミナーは、ヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲K364の第一楽章で始まった。東京芸大3年生、河裾あずさ(Vn)、佐藤まり子(Va)、新納芳奈(Pf)の3受講生が演奏し、先生は自分のヴィオラを持ちながら、実に懇切な指導をした。主な内容は以下の通り。
*ソロの出だし(72小節から)のフレーズは切らないで、先へつなげていくこと。ヴィオラは第一ポジションで弾くこと。ヴァイオリンはもう少し倍音がほしいので駒に近いところを使うこと。
*大きなフレーズを作るには弓の配分が大切だ。
*出だしの斉奏では、ヴィオラが基本を作り、そこから音楽が発展するようにしたい。フレーズがつながっていくように。音楽が途切れないように。
*出だしの前打音の音がぼやけることがある。ずれないようにはっきりと合わせること。
*(122~123小節あたりから)音楽がつながって流れるように。音の連なりを同じように弾いているが、もっとメリハリをつけて。
*この楽章はアレグロ・マエストーソだから、もっと落ち着いて、堂々と演奏しよう。
*細かい音符は丁寧に、しかし軽やかに。レオポルト・モーツァルトは教則本の中で、細かい音型が出たときにもよく歌うようにと注意している。ここでも、特に16分音符がそうだが、一つ一つの音がとても大切なのだ。そのように弾いてほしい。
 
 レッスンは小憩の後、ヴァイオリンとヴィオラのための二重奏曲K423を桐朋学園大卒業後、英王立北音大修士修了の北野紫帆さん(Vn)と英王立北音大卒業の木下雄介さん(Va)が演奏した。先生による主な注意は以下の通り。
(第一楽章)
*最初の4小節までがひとまとまりだから、そのように演奏するように。
*モーツァルトにはいつも驚きの表現がある。第4小節の後半のpのところは突然の表情の変化を出したい、それを大切にしたい。
*21小節のヴィオラのバスはpの表示ながら、しっかりと響かせるように。
*30小節の4拍目から31小節の推移を滑らかにするように。
*39小節以後、大事な音のラインが聞こえるように弾くように。スラーとテヌートを弾き分けること、同じように弾いてはいけない。
*展開部49小節、この2小節のフレーズがつながるように。
*58小節から、ヴァイオリンとヴィオラが張り合う感じがほしい。
*98小節あたりも典型的なモーツァルト、突然フォルテに変化しているね。
(第2楽章)
*出だしが遅すぎるとの注意があった。出だしのヴィオラのたゆたうような変化にとんだ音型の表現への細かい指導があった。
*第4小節のヴァイオリンのフレーズがつながっていくように。先へ先へ向かっていくように。
 公開レッスンは時を追うように、受講生の演奏が生き生きとよくなるので、先生の笑顔が印象的であった。
 
 休憩後、コンサートに移った。モーツァルトのヴァイオリンとヴィオラのための二重奏曲K424を岡山潔とフュールリンガーが演奏した。二人の友情を確かめるような、親密な対話の中に精神の厳しさがのぞく演奏と思えた。この後、ヴァイオリンに服部芳子が加わってベートーヴェンの2つのヴァイオリンとヴィオラのための三重奏曲作品87が演奏された。この曲は本来、オーボエ2本、イングリッシュホルンのための三重奏で、これをベートーヴェン自身が編曲した。多少の改変があり、編曲に妙味があると岡山氏が説明した。変化にとんだ佳曲という印象、ベートーヴェンの隠れた一面をのぞかせるようでもあった。演奏はとても和やかで、楽しさがスタジオに満ち溢れた。アンコールとしてドヴォルザークの4つの小品からのカヴァティーナがしみじみと流れた。
 最後にフュールリンガー先生が「演奏会は聴衆が決めるのです」とあいさつし、聴衆を喜ばせた。
 
(西谷晋 記)
 
 
 

「ストラヴィンスキーの二重奏曲」

公開レッスン&コンサート
講師;野平一郎
2012年7月28日(土)  スタジオ・コンチェルティーノ
 
 
東京藝大教授であり、作曲家、ピアニストとしても第一線で活躍中の野平一郎さんの登場は、昨年8月の第5回セミナーに次いで2度目になる。前回のプーランクに続いて、今回取り上げられたのは、ストラヴィンスキー(1882~1971)の二重奏曲。一般の音楽ファンにとって、時折り耳にすることはあっても、なかなか全貌のつかめない興味深い分野の名曲たちが、これ以上望めない最適の講師によって解説され、公開レッスンが行われ、さらに演奏まで聴けたのだから、会場を埋めた聴衆にとってはまことに得難く、贅沢な時間になった。
 
実際、公開レッスンの課題曲になった①「デュオ・コンチェルタンテ」(作曲されたのは1931~2年)②「イタリア組曲」(1934年)、そしてコンサートで演奏された③「ディヴェルティメント」(1949年)は、いずれもストラヴィンスキーがヴァイオリンとピアノの二重奏のために書いた傑作であり、現代の古典になっていることが実感された。このことは、一組目の受講生であるヴァイオリンの松本紘佳さん(桐朋学園ソリスト・ディプロマコース、洗足学園高校)・ピアノ栗田奈々子さん(東京藝大大学院)のコンビの演奏が何よりも雄弁に物語っていた。
 
「二人で二重奏をやるようになって、まだ数カ月」とのことだが、二人はまず15分ほどかかる①の全曲を、淀みなく弾き通した。日本語では「協奏的二重奏曲」と訳され、5つの楽章からなるこの曲は、②③が自作のバレエ音楽を二重奏用に編曲したものであるのに対し、最初から二重奏のために書かれたオリジナル。しかも、ストラヴィンスキーが同じロシア出身のヴァイオリニスト、サミュエル・ドゥーシュキン(1891~1976)のために、それも自分がピアノを弾いて共演する目的で書いたというだけに、ヴァイオリンとピアノが「独奏と伴奏」という主従の関係ではなく、火花を散らしてぶつかり合う「協奏」になっているのが特徴的だ。
 
月並みな表現だが、「高校生とは思えない」あざやかさで、松本さんはこの曲を弾きこなした。いささか興奮気味に「うん、とってもいい」と感想をもらしてから、野平さんは「松本さんにとって、ストラヴィンスキーってどういう人?」「この人、カメレオンみたいな作曲家だと言われてたんだけれど、1931年の彼はどういう場所にいたんだろう」と矢継ぎ早に質問の矢を放つ。答えを待つ間ももどかしく、「新古典主義」と呼ばれる時期にあったストラヴィンスキーが「ロマン派を忌み嫌い、ワーグナーの『パルジファル』なんて大嫌いだった」ことを説明してから、まず出だしの演奏分析が行われた。「ピアノのおどろおどろしい序奏に応じるには、フレーズをもっと自由に、色をつけて。拍節にとらわれすぎずに、うんとファンタジックでいいと思う」。
 
ピアニストとして、たぶん何度もこの曲を演奏し、隅の隅まで知り尽しているのだろう。「リタルタンドはし過ぎないで」「リズムを大切にしながらフレーズに変化をつけて」「なにげなく、顔色一つ変えずに、すっと移行すること。『よっこらしょ』ではなく」といった具体的、実際的な指摘がなされ、それを受けて二人の演奏はどんどん変化していった。これが公開レッスンの醍醐味というのだろう。あたかも化学実験の場に居合わせたような、明白な化学反応が実感出来た。
 
二組目は、ヴァイオリン加藤直子さん(桐朋学園ディプロマコース修了、茨城音楽専門学校付属音楽教室講師 ) とピアノの片田道子さん(桐朋学園大学卒、MSU College of Music in Todi, Italy マスタークラス修了、桐朋学園子供のための音楽教室講師)。この日の3曲の中では最もよく知られている②の、「全曲だとちょっと長すぎるので」第1、2曲および終曲が演奏された。イタリア・バロック期の作曲家ペルゴレージの音楽を素材にしたバレエ音楽「プルチネルラ」(1920年)を、ドゥーシュキンの協力で二重奏用に編曲したもので、親しみやすく簡素なメロディーが散りばめられている。
 
ここでも「旋律の美しさをもっと自分で感じて」「そこのピアノは、猫が爪で引っ掻くような、あるいは鍵盤が百度くらいあって熱すぎて、ほんの少ししか触れられないような感じで」「ストラヴィンスキーがペルゴレージをデフォルメした部分を、ヴァイオリンとピアノの二人がかりであばき出すように」「曲の最後も、リタルタンドなんかしないで、一気に弾き切って、さりげなく終るのがいい」などと、ユニークで分かり易い指摘が次々に繰り出された。みるみるうちに、演奏に多彩なニュアンスと軽みが加わっていき、受講者も聴衆も大きな充足感に満たされながら公開レッスンが終った。
 
休憩後のコンサートもストラヴィンスキー一色で、まず野平さんのピアノ独奏で「ピアノのための4つの練習曲集 作品7」(1908)から1,2,4曲と、「イ調のセレナード」(1925)の1,3曲が演奏された。めったに聴けない曲がまことに鮮やかに、印象深く会場に流れ、この作曲家の偉大さを再認識させてくれたように思う。そして、締めくくりの③。野平さんと同様東京藝大で教鞭をとる漆原朝子さんが、この曲だけのために登場しヴァイオリンを弾いたのだが、白熱した素晴らしい協演となった。もともとはチャイコフスキーの音楽をヒントに書いたバレエ音楽「妖精の接吻」をストラヴィンスキー自身が編曲したもので、円熟した作曲技法と演奏の見事さがかみ合い、奇跡のような時間が流れた。勝手な想像だが、お二人は藝大で、あいた時間を利用して繰り返し練習を重ねてきているのだろう。練習を洩れ聴く機会のあった藝大の学生たちにとって、それは何にも勝る勉強になっただろうし、そして練習の成果をこの日スタジオ・コンチェルティーノで味わうことの出来た我々にとっては、この上ないご馳走だった。
(舟生素一)
 

「モーツァルトのピアノとヴァイオリンのためのソナタ」~その3~

講 師:小林 道夫
2012年8月26日(日) スタジオ・コンチェルティーノ
 
 長い残暑が続く8月最後の日曜日の午後、スタジオ・コンチェルティーノはまたも満席だった。この室内楽セミナーの初回(2011年4月23日)、第8回(同12月4日)に次ぐ小林道夫先生の「モーツァルトのピアノとヴァイオリンのためのソナタ」の3回目。公開レッスンは竹沢友里さん(Pf=東京音楽大学大学院修了、同大学伴奏助手)と横田智子さん(Vn=東京音楽大学大学院修了)によるK526で始まった。小林先生は目を閉じたり、立ったまま手を前に組んだりして、第1、第2楽章にじっと耳を傾ける。「K525は何でしたっけ。そうアイネ・クライネ・ナハトムジークです。このころ(1787年)のモーツァルトはいろいろ無駄が落っこちてきて特に第1楽章はスリムです」「(いまの演奏は)再現部で元気がよくなってしまった。あまりテンポが勝手にならないように。“おしゃべり”が面白くなってしまい、全体のきれいな流れがわからない・・・」と、自然な流れの把握の大切さを説く。「K500番台までくると、モーツァルトは(楽譜に指示を)いろいろ書くようになります。この曲はそうは(多く)書いてないが、いろんなforte、いろんなpianoがあると思って下さい。brillianteで弾くことの喜びが伝わってくるように」と続ける。
 第2楽章の指導では、「Andanteだから足で歩いて。同じ音形がたくさん出てくるので、暑苦しくならないように、さらさら行って下さい」「バロックの伝統があり、長い音符は存在を主張している。細かい音符はあまりドタドタとならないように」。そしてモーツァルトを演奏者がどう受け止めるかについて、「本当を言うと、考えぬいたうえで、考えた顔をしないこと。ギーゼキングかな、譜面を見て暗譜できるまで音を出すな(と言ったのは)。そんなことできっこないですが」とにっこり。お二人がシュナーベル・フレッシュ版という一昔前の楽譜を使っている点について、「演奏のために(奏者によって多くの指示が)書き込まれた版は難しいので、なるべく避けた方が」と付け加えた。まずは原典を大事にし、特定の演奏家の解釈を鵜呑みにしないこと、という趣旨だと思った。
 次の黒崎美由さん(Pf)と西悠紀子さん(Vn)は桐朋学園大学の学部生。課題曲のK547を通しで弾く。先生の指導は技術面が多かった。「自然にくったくなくやってくれて、健康優良児の体当たりのようです。もう少し約束ごと覚えなければいけない」。黒崎さんには「ペダルはあまりたくさん使わない方がいい。モーツァルトの時代は(足ではなく)膝ペダルだったので、器用には(操作が)できなかった」「4拍目が強いのはなぜか?そう言う音楽はもっと後にならないと出てこない」「手首が踊りすぎて指が邪魔されている。なるべく指の動きで弾いて下さい」。西さんには「ちょっと細かいと思う。2小節くらいしか先が見えていない。せっかくきれいなフシなのに、一生懸命弾きすぎて、モーツァルトでないものになっている。いわば虹をかけるように弾いて下さい」。モーツァルトが生きた時代、当時の楽器の性能、それらから生まれた楽曲の特徴を理解したうえで、演奏に生かしてほしいということなのだろう。
 3組目は今井彩子さん(Pf=桐朋学園大学・ベルリン芸術大学卒業)、小林朋子さん(Vn=桐朋学園大学・ベルリン芸術大学卒業)のお二人で、ともに桐朋学園で講師をされている。課題曲のK454を通しで弾いた。先生はまず「ほとんど申し上げることはありません」と評価したうえで、「にっこりしたところ、お互いに楽しむところがない」と、ハイレベルの指摘。さらに、「細かいところは軽く。エコ(省エネ)をお勧めします。指だけで弾いてニュアンス、音色を出す」「sforzandoはダイナミックなアクセントではなく、espressivoなアクセントで」などと注文した。
 ところで、指揮者のクリスティアン・ティーレマンはベートーヴェンの第6交響曲「田園」について、「聖なる単純明快さ(heilige Einfachheit)」という言葉を使っている。簡明だからこそ素晴らしいといった意味だろう。モーツァルトの作品にも同じことが言えるものが少なくないのでは(前者が推敲を重ねたのに対し、後者はいわば、ひと筆書き風だったかもしれないという違いはありそうだが)。この種の作品は易しくて難しい、つまり譜面は単純なのに演奏家が作曲家の意図を十分に汲み取って響きを再現するのは簡単ではない。ある作家が小説の登場人物に言わせている「トスカニーニのモーツァルトは聴きたくない・・・」は、たぶん当たっている感じがする。
 レッスンのあとは小林先生と岡山潔TAMA音楽フォーラム代表によるコンサート。K306に課題曲のひとつK526、アンコールにこたえてK404が演奏された。モーツァルトの音楽が彼の時代よりもずっと美しく響いているに違いないと思いながら聴いた。それは主にピアノの性能の違いから来るように思う。ヴァイオリンづくりがストラディヴァリとグァルネリの時代、つまり17世紀後半から18世紀前半に頂点を極めたのに対し、現代のピアノは18世紀末から19世紀の半ばころにかけて確立されたので、1791年に早世したモーツァルトには、高性能のモダン・ピアノを使う機会がなかった。
ピアノは鍵盤楽器だが、張った弦をハンマーでたたくメカニズムから打弦楽器とも言われる。かつての時代との大きな違いは弦の長さや材質に関係がある響きはもちろん、音域と音量・強弱の幅、それに小林先生がレッスン中に指摘したペダルの性能などだろう。これらの改善が奏法自体を変え、作曲技法の幅を広げた。ベートーヴェンはピアノソナタ第29番(ハンマークラヴィーア)をより高音が出るピアノと、より低音が出るピアノの2台を使って作曲した(1818年)という説がある。そうだとすると、作曲家ベートーヴェンがこの大曲を1台で演奏できるようピアノ製作技術の革新を促した、と見ることもできそうだ。
 スタジオ・コンチェルティーノのピアノは北ドイツ・ハンブルクで製造している著名なスタインウェイ(Steinway)。本社はニューヨークで、同地とハンブルクでつくられているという。失礼ながら、概して量の追求は得意だが、質は苦手のアメリカでヨーロッパの伝統を受け継ぐ優れたピアノが開発、製造されているのは何とも意外だ。電子百科事典ウィキペディアには、ドイツの楽器職人でオルガン奏者でもあったハインリヒ・エンゲルハルト・シュタインヴェーク(1797~1871年)が妻や3人の娘、4人の息子とアメリカへ移住し、1853年にニューヨークで会社を設立してピアノの製造を始めた、とある。彼はその翌年、名前を英語式のヘンリー・E・スタインウェイと改めたのだという(「道」を意味するドイツ語のWeg は英語では way)。それで納得が行った(ただ、当人が「石」を意味するSteinをstoneに変えなかった理由はわからなかった)。
今日の公開レッスンで、ピアノとチェンバロの巨匠、小林先生から直接、指導を受けた受講生の皆さんは、大いに励みになったことだろう。筆者も先生のモーツアルトにじかに接することが出来て感動した。セミナー冒頭のあいさつで岡山代表から、小林先生には何回でも講師をお願いしたい旨のお話があったが、次の4回目はすでに固まっていて、来年の2月だという。
 
(走尾 正敬)
 
 

 「W・リームのピアノ三重奏曲」

レクチャー&コンサート
講師:福中 冬子(東京藝術大学准教授)
 
2012年9月23日(日)午後3時 スタジオ・コンチェルティーノ
 
1.レクチャー 「現代ドイツを代表する作曲家、ヴォルフガング・リームの人と作品」
 
2.コンサート ピアノ三重奏曲 “Fremde Szene I II III”
別府 由佳(Pf)、對馬 哲男(Vn)、林 はるか(Vc)
 
 
 お彼岸の中日を過ぎて、ようやく長い残暑が終わったのはよかったが、あいにくの雨模様。聴講生はいつもより少なめだった。この日は第18回のセミナー、つまり昨2011年4月のスタートから1年半目にあたる。そのタイミングで現代音楽が初めて登場した。選んだのは現代ドイツを代表する作曲家ヴォルフガング・リーム(Wolfgang Rihm 1952~)。レッスンにコンサートという、いつもの形とは違い、まず現代音楽を中心に研究している福中冬子・東京藝術大学音楽学部楽理科準教授(音楽学)によるレクチャーがあり、若手演奏家によるコンサートが続いた。
 
レクチャーに先立って開会の挨拶をしたTAMA音楽フォーラムの岡山潔代表は「これまで、いろいろなテーマで室内楽セミナーをやってきましたが、今回初めて、現代の作品をとりあげました。現代音楽と言うと、今のクラシック音楽界の中心から敬遠されがちです。退屈きわまりない作品、演奏もあるので、食わず嫌いの人たちが多いようです。しかし、そこから発しているもの、余韻が残るものは実際にあります。音楽はベートーヴェン以降、(内容の面で)発展がないという人もいますが、一方で音楽を追求し続けている人たちもいます」と、現代音楽の置かれた状況を概説した。
 
 リームは今年60歳。日本流に言うと還暦を迎えた。これを記念して、東京藝術大学では去る6月1日、同大学の奏楽堂で「生誕60年記念コンサート」を開催、藝大フィルハーモニアの管弦楽、パリ国立高等音楽舞踊院のジョルト・ナジ教授の指揮で、いずれも日本初演となるヴァイオリンと管弦楽のための「第3の音楽」(1993年作曲)、ソプラノと管弦楽のための「猟区」―夜の情景―(2004、05年作曲)をとりあげた。演奏に先立って福中先生が作曲者や作品などについて講演した経緯がある。「これは管弦楽作品だったので、今度は室内楽をお願いしました」(岡山代表)。
 
 レクチャーで福中先生は「博士論文を書くにあたってリームの作品のCDを聴き、変な曲だと思いました」と第一印象を語る。「リームはいろんな意味で偉大なシュトックハウゼンの次の世代の第一人者で、ドイツの『田舎町』のカールスルーエに生まれ、ずっとそこに住んでいます。飛行機嫌いで旅をしない。その理由は創作をしたいからだという。多作で未出版のものを含め、400曲くらい書いています。スケッチを描かない即興的、ファンタジア的な楽曲で、論理的に理解する必要はない」などと紹介した。
 
 先生は「彼の作品にはドイツならではの背景がある」と解説する。いわゆる退廃音楽というレッテルを貼ってユダヤ人作曲家の作品の演奏禁止、ユダヤ人演奏家の排除などを強行したナチ時代、敗戦ですべてがゼロに帰し、ゼロからの出発を余儀なくされた「ゼロ時間(Stunde Null)」、戦後初期の連合国による非ナチ化やアメリカ主導の現代音楽の振興といった歴史が色濃く反映しているという。「現代音楽にはひどいものもある。しかし、彼の場合は子供のころに合唱団にいた経験からか調性、つまり緊張と弛緩が根本にあります。ブーレーズやシュトックハウゼンにも調性の素地がある」「リームはオーディアンスが何を聴くか考えながら書いている。1950年代後半から60年代前半にかけてのジョン・ケージらの「偶然性の音楽」に対し、「新たな単純性」と呼ばれる調性的要素、とっつきやすさ、オーディアンスを重視する姿勢を打ち出したリームの作風は一部から保守的とみなされたこともある」などと続けた。
 
 コンサートでとりあげたピアノ三重奏曲「Fremde Szene I II III」は1982年から84年にかけて作曲されたもので、曲名は「異質な(あるいは奇妙な)情景」といった日本語に相当する。「リーム自身、シューマンの後期の作品とマーラーに特に影響を受けたと言っていて、この曲はシューマンにささげられている。fremdは英語のalienに相当し、身近に感じはするが、一方で距離感もあって理解できないといった意味です。I II IIIは3つの曲と考えてもよいし、第一、第二、第三楽章と考えてもよい」と福中先生。
 
演奏は東京藝術大学大学院修士課程2年の別府由佳さん(Pf)、同1年の對馬哲男さん(Vn)、同修士課程修了の林はるかさん(Vc)で、「おそらく日本初演でしょう」(福中先生)。Iはピアノのものすごい強打、ヴァイオリンとチェロの少しざらざらした摩擦音、IIの終結部は水滴がポトポトと滴り落ちる間隔が次第に長くなり、最後の一滴が落ちると、やや長い沈黙が続いて終わるといった感じをピアノが奏でた。IIIは静寂・突然の大音響・再び静寂・また大音響・・・。筆者個人は無調、無形式、不協和音は苦手にしている。曲名の通りで、ほとんど理解できなかった。聴きなれた古典派やロマン派の音楽とは違って、海図のない航海というか、次にどんな展開があるのか予測できないため、大いに緊張する。確かに「熱のこもった演奏」(岡山代表)だったので、聴き終わって、どこか解放された感じがした。
 
電子百科事典ウィキペディア(ドイツ語版)は、リームの作風を3期に分けて解説し、①初期はベートーヴェンの後期の器楽曲からシェーンベルク、ウェーベルンへとつながる伝統と結びついている(新たな単純性)、②1980年代は的確で完結なスタイルへ発展。響きは象徴(暗喩)として示されている、③90年代以降はテーゼとアンチテーゼが先鋭的に現れ、ジンテーゼ(両者の総合)を追求し続けている。音楽表現のさらなる簡潔さが高い名人芸による構築物(作品)を生み出している――などと賞賛。75年に作曲された交響曲第2番は翌76年に若杉弘指揮ベルリン放送交響楽団が、同第1番(69、70年作曲)は84年にゲルト・アルブレヒト指揮ニーダーザクセン州立歌劇場管弦楽団が、それぞれ初演した。また、ザッハー、サヴァリッシュ、ブーレーズ、マゼール、シノーポリ、シャイー、ナガノ、パーヴォ・ヤルヴィといった有力指揮者がリームの管弦楽作品を初演している。現役の作曲家とあって、まだ歴史的な評価をするには早いのだろうが、大物であることは確かだ。
 
現代音楽とはいったい何だろう、と帰りの電車で考えた。ロマン派までの音楽には演奏者と聴衆の一体感が醸し出される特徴がある。これに対し、20世紀以降の新しい潮流は、それが近代音楽と現代音楽とに区切られるにしても、あるいは一括して現代音楽と呼ばれるにしても、何となく作曲家個人のもの、という印象がしないでもない。もしかすると、自然科学や数学などで言う「複雑系」の音楽版ではないのか。この複雑系(complex system)とは「相互に関連のある複数の要因によって生じる全体的な動きないし性質であって、単純な平衡(均衡)理論や最適化理論、要素還元的な手法では解明できないもの」とされ、脳をはじめとする生物の組織とか、人間社会、地球環境などが典型例だが、ロマン派までの音楽が人間の感性、知性、理性に総合的に訴えかけるのに対し、現代音楽は作曲家自身の心の動きを音と時間の経過を用いて、ミクロのレベル、細胞とか分子次元の動き(つまり複雑系)として表そうとしているような感じがする(この場合、上記の「全体的な動きないし性質」が音楽作品ということになる)。こんなことを言うと、荒唐無稽と一喝されそうだし、リームが聞いたら自分の作品はそんなものではないと否定するだろう。ともかく、筆者がその答えを見つけるまでには、かなりの時間がかかりそうだ。
 
(走尾 正敬)
 
 

 「コーラ・イルゼン ワイマールでのリストとの出会い」


演奏と朗読 コーラ・イルゼン (通訳:薮田京子)

2012年10月14日(日)  スタジオ・コンチェルティーノ

 

「『リストは痩せこけた若者で、蒼白な顔つきを黒っぽい長髪が縁取っていました。一礼してピアノに向かい、弾き終えるや彼の上に花束が雨あられのように降り注ぐのです。若い娘たちはもちろん、かつて娘だった老婆たちまでが、持参した花を投げ入れて』。詩人ハンス・クリスティアン・アンデルセンは、リストについてこう伝えています」。

語り終えてピアノの前に座り、通訳の言葉が終るのを待って、やおら「半音階的大ギャロップが弾き出される。

 

リスト演奏のスペシャリスト、コーラ・イルゼン女史によるレクチャー・コンサートは、このようにして始まった。演奏者が同時に朗読(というか、自身で書いた原稿を、読むというより、聴衆に語りかける)をし、そして朗読の区切りごとに、ピアノ演奏が行われる。つまりイルゼン女史は、コンサートの構成者ないし演出家をも兼ねているわけだ。

 

めったに経験することの出来ない催しだが、例がないわけではない。ヨーロッパ、中でもドイツやオーストリアなどでは、こうしたやり方、つまりピアニストが解説・朗読をまじえつつ演奏を披露する音楽会が、十九世紀の頃からあったようだ。貴族の邸宅とか、古いお城の広間などで、せいぜい数十人の聴き手を前にして行われる、いわゆるサロン・コンサートである。規模としては、この日のスタジオ・コンチェルティーノはまさにうってつけで、聴衆はイルゼン女史の息遣いまで感じながら、いわば「貴族の気分」でその語りと演奏を味わうことになった。

 

さて、今どきのアイドルさながらの人気を誇った若き名人ピアニスト、フランツ・リストは、イルゼン女史によれば「やがてヴィルトゥオーゾ(名人芸)を誇示することに嫌気がさし、自分の思想を自由に追求することを目指して、1848年にワイマールにやって来ました」。

 

「ワイマール宮廷楽団の首席指揮者に就任したリストは、リヒャルト・ヴァーグナーと知り合い、その音楽に深く傾倒して、以後精神的兄弟ともいうべき深い友情で結ばれることになります」「そして1850年8月28日、文豪ゲーテの誕生日に、リストの指揮でヴァーグナーのオペラ『ローエングリン』がワイマール宮廷劇場で上演されました。並はずれた巨額の費用をかけ、さらに歌手や楽団員を鼓舞しながら、リストはほとんど不眠不休の努力を傾注したのです」。

 

この言葉の後で演奏されたのは、「ローエングリンのエルザへの叱責」。よく知られているように、リストは数多くのオペラをはじめ、当時人気を博した音楽作品をピアノ独奏用に編曲しており、これもその一つだが、リストのヴァーグナーへの深い敬愛の念が感じられる名曲だ。

 

なお、この日のコンサートは、岡山潔TAMA音楽フォーラム代表が挨拶で述べた通り、「イルゼンさんご本人の希望で、休憩なしで」行われた。ワイマール時代を中心としてリストの生涯をたどり、関連するピアノ作品に浸るには、たしかに休憩を挟まずに集中して聴き通すことが必要だったと思われる。

 

演奏はさらに、作曲家としてのリストの代表作というべき「メフィスト・ワルツ第1番」、「愛の夢第3番」と続き、その間にカロリーネ・フォン・ザイン=ウィットゲンシュタイン侯爵夫人、マリー・ダグー伯爵夫人らとの恋愛沙汰にも話が及んだ。リストの「女性遍歴」は有名だが、イルゼン女史はここで、「今やまったく忘れられた」リストの弟子の一人、ピアニストで作曲家でもあった女性、マリー・ジャエルに話を進めた。

 

1811年生まれのリスト(1886年没)とは一世代下のジャエル(1846~1925)は「ヨーロッパ全土を演奏旅行したピアニストであると共に、24歳の時から始めた作曲がブラームスやサン・サーンスらの高い評価を得て、八十曲以上の作品がその存命中に出版され」たという。そして、1883年から86年までの間は毎年数か月をワイマールで過ごし、リストの助手を務めると共に、親密な友人となった。「二人を結びつけていたのは、お互いに対する深い敬意でした。では次に、彼女の作品から、偉大な師であり助言者であったリストに捧げられたピアノ・ソナタの第一楽章を聴いて頂きます」。

 

こうして演奏されたソナタは、この日の聴衆全員が初めて耳にした筈。リストを彷彿とさせるロマンティックな曲想を持ち、イルゼン女史の熱演によって盛大な拍手が起こった。次いで演奏された「練習曲」と合わせ、ジャエルの名は聴衆の胸に深く刻みつけられたように思われる。

 

コンサートの最後は、「16歳の時から鬱の症状に見舞われ、死について考えることが多かった」リストが、「グレゴリオ聖歌『ディエス・イレ(怒りの日)』に基づく変奏曲として作曲した」という「死の舞踏」で締めくくられた。アンコールで演奏された「コンソレーション」と共に、リストへの共感と華麗な技巧が印象的で、イルゼン女史は鳴りやまぬ拍手に笑顔で応えていた。

 

昨年が生誕二百年の記念年だったリストだが、その全貌はまだよく知られているとはいえまい。中心となるピアノ作品でも、全4巻26曲からなる「巡礼の年」、10曲からなる「詩的で宗教的な調べ」などの曲集は、部分的には聴いたことがあっても、全曲となるとなかなか耳にする機会がない。この日のコンサートを聴き終えて、いつの日かまたイルゼン女史の解説と演奏でこれらの曲集を味わうことができたら、と強く思ったことであった。

 

(舟生 素一)

 

 

「シマノフスキーの室内楽作品」


   2012年11月23日午後3時開演。於:スタジオ・コンチェルティーノ

 

レクチャーコンサート

     アポロン・ミューザゲート弦楽四重奏団

 

 この日はポーランド出身の若手4人が2006年に結成したアポロン・ミューザゲート四重奏団の登場である。08年、第1位を出すことの稀なミュンヘン国際音楽コンクール室内楽部門で第1位と特別賞を受賞して一躍注目された。現在はおもにドイツ、オーストリア、その他欧州の主要都市で活動している。まさに日の出の勢いの活躍ぶりといわれる。最近、東京芸術大学とウイーン音楽大学が4年がかりでハイドン弦楽四重奏曲全68曲のCD録音プロジェクトを完成させ、この記念式典が東京で開かれることになり、それを機にこの四重奏団が来日した。全68曲のうちの2曲を同四重奏団が担当している。

 このような岡山潔TAMA音楽フォーラム代表の紹介があったのち、ハイドン・プロジェクトで録音した作品76-3「皇帝」で、コンサートが始まった。チェロを除く3人の奏者が立って演奏する珍しい団体である。その効果もあるのか演奏は、若々しく、生気に満ちている。

 

 続いて、この日のメインといえるカロル・シマノフスキーの弦楽4重奏曲第1番作品37(1917)のレクチャーと演奏があった。まず、4人の奏者がかわるがわる作曲家と作品について説明し、必要なところで、実演がついた。レクチャーは微細にわたったが、主な内容は次の通り。

 

*シマノフスキー(1882~1937)は20世紀のもっとも重要なポーランドの作曲家であり、ショパンの伝統を引き継いだ。そして、パデレフスキー、ペンデレツキ、グレツキに橋渡しをした人である。

 

*今やその評価は世界的に高まっていて、例えば、ベルリン・フィルのサイモン・ラトルは交響曲や「スタバート・マーテル」を好んで演奏している。かれは「交響曲第3番とルトワフスキに強い関連があるのがわかった。私はシマノフスキーの音楽に恋をしている。彼はその時代にほかの誰とも違う音楽を書いた」といっている。

 

*弦楽4重奏曲第1番でも、ポーランドのスラブ的音楽という点でショパンの伝統を引き継いでいる。さびしさ、孤独と情熱がはっきりと表現されている。その寂しさは、1917年のロシアの10月革命で家を失ったことと関係があるかもしれない。画家が描くようにポーランドの風土を描き出している。冒頭は失った祖国を哀惜するかのようだと第1ヴァイオリンのザレイスキが第1楽章の序奏を弾いた。ハイドンの手法とは違う独自の世界、20世紀の人が独立的な、近代社会を表している。4声部が複雑に独立し、調性はハ長調だが、その調性はぼやけている。

 

*第2楽章は夢と想い出の歌である。テーマと変奏、自由な音楽だ。主題の断片をさらに変奏する手法をとっている。調性はなく、拍子が頻繁に変わる。変奏ではトレモロなどいろいろな手法を駆使する。第1楽章のテーマがここにも表れる。ドビュッシーやレーガーの影響を見せつつも独自の世界を作っている。シマノフスキーの緩徐楽章は本当に美しい。

 

*最終楽章は本来、第2楽章にするはずだった。だから軽やかで、ネオクラシカルな曲想で、ポーランドの民謡を素材としている。明るく、ユーモアに満ち、グロテスクでもある。

 

*最後の部分のフガートで注目すべきは、4つのパートが違う調性で書かれている点だ。そして20小節から4つともハ長調になる。ベートーヴェンの「運命交響曲」第3楽章と似たリズムが聞こえる。こう説明しながら、その部分を実演して見せた。

 

 このような説明の後、全曲が演奏された。きわめてダイナミックで真摯な演奏であった。シマノフスキーの素晴らしさを啓蒙してもらった気がした。

 

 このあと、ヤナーチェクの弦楽4重奏曲第1番「クロイツェル・ソナタ」(1922)が演奏された。こちらは、ポーランドとは違うチェコのモラヴィア的語法の音楽。トルストイの同名の小説に基づくヤナーチェク晩年の作品である。ベートーヴェンのクロイツェル・ソナタの旋律も顔を出す。これも迫力に満ちた切実な演奏であり、この曲の愛と苦悩を綿密に表現した。

 アンコールとして、ストラヴィンスキーの弦楽四重奏のための小品が演奏された。

 

 この日はハイドンの名作の後、あまり日本でプログラムに乗らない、東欧の民族色あふれる近代の室内楽作品が素晴らしい演奏で聞けたところに、大きな意義があった。TAMA音楽フォーラムの活動の多彩さを証明した一日となった。

 

(西谷晋記)

 

 

 

「Beethoven ピアノ三重奏曲」その1


 

講 師:植田 克己 (ピアニスト、東京藝術大学教授・音楽学部長)

 

2012年12月16日(日)午後3時~ スタジオ・コンチェルティーノ

 

 

 この日は2012年最後のセミナー。小春日和に逆戻りしたような好天に恵まれた。植田克己先生は「本当は外を散歩したほうがよさそうですが・・・」と穏やかな表情であいさつ。これに先立って、岡山潔TAMA音楽フォーラム代表が「その1と言うからには、その2、その3があります。植田先生に講師をお願いしたのは、先生がベートーヴェンのピアノ曲を室内楽や歌曲も含めて全曲演奏され、私も共演させて頂いたからです」と紹介の弁。植田先生のベートーヴェンシリーズは1986年から2005年まで20年間にわたり、全部で27回、32曲のピアノソナタをはじめ変奏曲、室内楽曲、歌曲などを網羅した。文字通り、快挙であり偉業である。その植田先生の指導を受ける今日の受講生6人は実に運がいい。

 

 セミナーの模様をレポートする前に、ベートーヴェンのピアノ三重奏曲(ピアノトリオ)について簡単に触れる。電子百科事典「ウィキペディア」日本語版などによると、ベートーヴェンのピアノ三重奏曲にはジャンル別の番号が付与されているものが11曲ある。セミナーではこれら第1~第11番の番号はつけず、調性とベートーヴェン自身がつけた作品(op.)番号で表記している。以下の表は分かりやすくするねらいから、敢えてジャンル別番号順に並べてある。

 

・第1番変ホ長調op.1-1(1794年作曲)

・第2番ト長調op.1-2(1795年作曲)

・第3番ハ短調op.1-3(1795年作曲)

・第4番変ロ長調「街の歌」op.11(1797年作曲)

・第5番ニ長調「幽霊」op.70-1(1808年作曲)

・第6番変ホ長調op.70-2(1808年作曲)

・第7番変ロ長調「大公」op.97(1811年作曲)

・第8番op.38(1799年作曲の七重奏曲変ホ長調Op.20の編曲=1803年)

・第9番変ホ長調op.なし(1791年作曲)

・第10番「創作主題による14の変奏曲」op.44(作曲年を「ウィキペディア」日本語版は1792年、同ドイツ語版は1800年、J.B.Metzler 出版社のDas neue Lexikon der Musik=1996年版=は1792~1803年と記述)

・第11番ト長調(アダージョと、ヴェンツェル・ミュラーのジンクシュピール「プラハの姉妹」の「私は仕立屋カカドゥ」の主題による10の変奏曲とロンド)op.121a(1803年作曲?1816年に改訂)

  (注)第1~11番以外の曲には1楽章だけのもの、交響曲第2番ニ長調op.36をピアノ三重奏曲用に編曲したものなどがある。

 

 上記のop.は「作品」という意味のラテン語opus(ドイツ語ではOpus)の略号で、次に数字が来ると作品番号を意味する。ベートーヴェン(1770~1827年)は作曲家自身が作品番号をつけた先駆者のひとりとされている(必ずしも作曲順ではない)。彼は1782年ころから作曲を始め、op.番号がない変奏曲、ピアノ独奏曲、歌曲などを数多く残している。後に第9番とされたピアノ三重奏曲変ホ長調(1791年)もop.番号がないが、本人は習作のつもりだったのだろうか。そうだとすると、セミナー前半の課題曲(第3番ハ短調op.1-3)を含むop.1の3曲は彼自身が初めて世に問うた自信作と言える。

 ピアノ三重奏曲はピアノ(Pf)、ヴァイオリン(Vn)、チェロ(Vc)の組み合わせが一般的だが、セミナー後半の課題曲である第4番変ロ長調「街の歌」op.11はヴァイオリンに代えてクラリネット(Cl)が使われる。これらのうち、とりわけ有名なのが、ベートーヴェンが彼のスポンサーであり、弟子でもあったルドルフ大公に献呈した第7番変ロ長調「大公」op.97(ルドルフ大公はピアノがうまく、作曲もしたという)。

 

セミナー前半のハ短調(c-moll)op.1-3の受講生はいずれも桐朋学園大学大学院に在籍の早坂なつき(Pf)、亀山晴代(Vn)、Park Hyun-Ah(Vc)のお三方。植田先生はまず、「op.1 はベートーヴェンの出世作、いわば決意表明をした曲です。師匠のハイドンに楽譜の出版をやめたら、と言われた。ハイドンの気持ちはわからないでもない。ハイドンはベートーヴェンの持つ恐ろしさを感じたのかもしれません。ハ短調は『運命』(交響曲第5番)、『悲愴』(ピアノソナタ第8番)と同じ調性で、緊張をはらんだ出だしです」と解説し、「3人の気持ちがひとつになっていますか。それぞれの楽器の個性を考えに入れて、たとえばピアニッシモはどのようなピアニッシモなのか3人でよく考えて」「ピアノの左手と弦だけで弾いてみて下さい」「すると、ヴァイオリンとチェロのやりとりも変わってくるかな」などと注文をつける。自らピアノに向かう一方、ひとりひとりに意見を聴き、「ピアノの右手はヴァイオリンと同じようにメロディを担当し、左手は低音を響かせると同時にチェロにリズムを与えている。少しがんばり過ぎています。ベートーヴェンのフォルテッシモは柔らかい」「3人で相談してもっと柔らかい世界を」などと、ていねいに指導。また、「ハイドンやモーツァルトのチェロのパートはピアノの左手と同じ場合が多いのですが、ベートーヴェンは独立しています」と、ベートーヴェンの革新性を指摘した。

 

 後半の変ロ長調(B-Dur)「街の歌」op.11は桐朋学園大学とパリ地方音楽院を卒業した稲生亜希子(Pf)、東京藝術大学と仏オーベルヴィリエ・ラ・クールヌーヴ音楽院を卒業し、現在は日本フィルハーモニー奏者の芳賀史徳(Cl)、桐朋学園大学大学院修了の佐藤翔(Vc)のお三方が受講した。植田先生は「皆さんの演奏はバランスもよく、言うことはないような感じですが」と前置きしつつ、「これは3つの楽章の曲で、ディヴェルティメント(喜遊曲)の性格をもった明るい曲です。第一楽章Allegro con brio はゆっくりすると、もたれて重くないやすい。出だしはもう少し・・・」「この曲は楽器によって強弱の記号が同じでないところがある。その面白さを考えて」などと、相次いでハイレベルの注文。最後に、コンサート出演のために待機していたクラリネットの山本正治・東京藝術大学教授(日本クラリネット協会会長)、チェロの河野文昭・東京藝術大学教授(岡山潔弦楽四重奏団メンバー)のお二人からそれぞれ「この空間をうまく使うようにしてほしい。ダイナミックレンジを適切に」「ベートーヴェンは作曲するたびに新しいアイデアを盛り込もうとした。何か変だなというところがたくさんある。それがなぜなのか、さぐりながらやってほしい」とのコメントがあった。

 

 なお、「街の歌」の原語Gassenhauerとは、もともと「夜中に街を歩く人がうたう歌」という意味で、後に「路上でうたわれる、皆が知っている通俗的な、月並みな、あるいはつまらない歌」となり、さらに「流行歌」を指すようになった。「ウィキペディア」ドイツ語版によると、op.11にこの呼び名をつけたのは、オーストリアの作曲家ヨーゼフ・ヴァイグル(1766~1846年)の喜歌劇「船乗りの愛または海賊(L’amor marinaro ossia Il corsoro)」のメロディが1797年の初演以降ウィーンで流行ったのをうけて、ベートーヴェンがこの主題を編曲して変奏曲とし、第3楽章に使ったからだという。

 

日没後のコンサートは植田先生(Pf)、山本先生(Cl)、河野先生(Vc)による後半の課題曲「街の歌」の模範演奏。ベートーヴェンは「月並みな歌」でも、やはり次元が高い。そしてアンコールは七重奏曲変ホ長調op.20(1799年作曲)を作曲者自身がピアノ三重奏用に編曲(1803年)した第8番op.38から第3楽章のメヌエット。3つの楽器のバランス、絡み合い、落ち着いた室内楽の雰囲気――コンサートを通して、より高い芸術としての響きを実感できた。

(走尾 正敬)